初任者教員(小学校)かよ先生のブログ

初任者ならではの視点から、教育や学校についてつっこんでいきます。少しでも役立てば光栄です。失礼すみません。

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嫌われる勇気と学校教育

「他人と過去は変えられない。
 自分と未来は変えられる。」


こんな言葉を聞いたことがありませんか?

 


この言葉にはいくつか間違いがあります。

 


それは、他人は変えられない。

けれど、自分と未来、そして過去は変えられるということです。

 


過去は変えられるのです。

嫌われる勇気

 

「嫌われる勇気」

には、そのためのヒントが多く書かれています。

6つのキーワード

嫌われる勇気

原因論

すべての悩みは、対人関係の悩みである

承認欲求をなくす

課題の分離

共同体感覚

 

 

 


そもそも人間という生き物は、物事を

原因論

で考えてしまいがちです。

 

 


「自分は両親に虐待を受けたから、社会に適合できないのだ。」


「私は、昔から卑屈な人間だから、みんなに嫌われるんだ。」

 

 


現在の自分(結果)は、過去の出来事(原因)によって規定される。そう思ってないでしょうか?

 


自分も他の人もそうだろうと言う場合、おかしな話になりませんか?

 


だって両親から虐待を受けた人は、すべてが社会不適合者になっていますか?

 


卑屈な人間は、すべてがみんなに嫌われていますか?

 


そんなことないはずです。

 


問題は、「何があったか」ではなく、「どう解釈したか」なのです。

 

 


では、なぜそう思ってしまうのか。


それは、理由を作って逃げ出したいからなのです。

 


社会に出て拒絶されたらどうしよう。
または、実際に社会に出て拒絶されたことがある人は、

 


”自分が悪いんじゃない、他の何かが悪いのだ。”
”私は両親に虐待されたからこうなってしまったんだ。”

 

そう思いたいだけなのです。

 

 
”みんなに嫌われたらどうしよう。

”実際に、みんな(本当は一部の人は)に、私は嫌われたことがある。”
”私は昔から卑屈だから嫌われたんだ。決して私自身を否定されているわけではない。”


そう思いたいだけなのです。

 


過去は変えられます。

 


アドラーはこうも言っています。

 

「すべての悩みは、対人関係の悩みである」

 


孤独を感じることができるのは、人に必要とされたことがあるから。


昔から一人なら、孤独という概念すら出てこないでしょう。


見た目の悩み、これも周りに人が存在するからこその悩みです。

 


お金持ちになりたい。
これも、お金持ちになることのステータスや自由さを周りに見せつけたいということから生じる悩みです。

 


どんな悩みでも、必ず他者のかげが介在しています。

 


ではどうすればいいか。

 


一つは、

「承認欲求をなくす」

 


ということです。

 


アドラー心理学では、他者からの承認を求めることを否定しています。

 


他者から承認される必要はない、むしろ承認を求めてさえいけないのです。

 

 


他者から感謝されることによって、「自分には価値があるのだ」の実感することができる。
そう思ってる子供も多いはずです。


それは我々教師や大人が作った価値観の植え付けです。

 


例えば、教室でごみ拾いをしたとします。
周囲は全く気づかないし、気付いて感謝もしません。何も言ってもらえない。


そんな子はその後もごみ拾いを続けるでしょうか?


拾い続けない子が多そうですよね。

 


それはきっと、みんなのために働いているのに、お礼すら言われない。やる気も失せてしまうからです。


適切な行動を取ったら、ほめてもらえる。
不適切な行動を取ったら、罰せられる。

 


アドラーはこうした賞罰の教育を厳しく批判しました。

 


このまま子供が成長すると、


「褒めてくれないなら適切な行動はしない。」

 
「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」


というふうになってしまいます。

 


では、どうすればいいか。

 


私達は、
「他者の期待を満たすために生きているのではない」


ということを伝えなければなりません。

 


そして、それは他者もまた
「あなたの期待を満たすために生きているのではない」


ということに気づくことでもあります。

 

 


相手が自分の思うように動いてくれなくても怒ってはいけません。
そんなの当たり前だからです。

 

 


それはつまり、

「課題の分離」

というものに、つながっていきます。

 

 

他者は他者。

自分は自分と考えること。

 

例えるなら、

自分は一つレーンを走っているだけ。周りには比べるような相手もいません。

 


それは、周りに迷惑をかけたり、暴虐に生きることではありません。

 


あなたにできることは、
「自分の信じる最善の道を選ぶこと」


それだけです。


それに対する周りの評価は、他者の課題であって、あなにはどうしようもできない話です。
好かれようと嫌われようと、相手の課題です。


ここにもまた、対人関係の悩みがつきまといます。
つまりに、それは他者の課題であって気にするなということです。

 

 

勉強しない子に対しても、それはその子自身の課題であり、こちらが悩み続ける必要はないのです。

 

決して諦めるわけではありません。勉強するような工夫をしますし、自分のできる最善の手を尽くします。

それでも変わらない場合には、仕方のないことです。叱る必要も怒る必要もありません。

 ただ、「勉強をしないリスクを教える」それだけでいいのです。

 


最後に、伝えたいこと。


アドラー心理学の最終的なゴールは、

「共同体感覚」です。

 


共同体感覚とは、他者を仲間だとみなし、そこに自分の居場所があると感じられること。

 


「私は共同体にとって有益なのだと、思えたとき自らの価値を実感できる。」


これがアドラー心理学の答えになります。

 


教師は、褒めてもいけないし叱ってもいけないのです。

 


褒める叱るの縦の関係でなく、横の関係を築くことが大切なのです。

 

 


褒めるのは能力のある人が、能力のない人に下す評価です。
無意識に見下していることになります。

 


それは、背後に操作したいという目的があるからです。


大人が操作しやすいように、アメとムチを使う。


子供もそういった指導を受け続けると、
物事を、怒られるから、叱られるからの他人の評価からしか判断できなくなります。

 

 


子供をそういう考えから救わなければいけません。

 

 

 

 


人は、感謝の言葉を聞いたとき、自ら他者に貢献できたことを知る


人の役に立ったときにだけ、自分に価値があると感じることができる。

 

 

学校教育でできることの一つです。

 

 

稚拙な文章で申し訳ありません。

少しでも興味を持ってもらえたら幸いです。