初任者教員(小学校)かよ先生のブログ

初任者ならではの視点から、教育や学校についてつっこんでいきます。少しでも役立てば光栄です。失礼すみません。

MENU

いじめについて

 


f:id:kayoka_yo:20230212091620j:image

 

そもそもいじめとは何かについてまずは確認します。

 

『「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍してい る等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な 影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該 行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。』

 

いじめ定義の変遷

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2019/06/26/1400030_003.pdf

 

 

ここでのキーワードは、『児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。』ということ。

 

 

つまり、その子が「いじめだ。苦しい。」と感じたならばそれはすべていじめということになります。

 

 

心身。

 

 

 

身体の異変は見てわかるものが多いのですぐにわかるかもしれません。

 

しかし、心の変化はわかるものでしょうか?

 

 

それは親にさえすべてを把握することな難しいでしょう。

 

 

逆に、すべてを把握することができていると思っているのは驕りです。

 

 

さて、そもそもこれは

 

このツイートの流れから、めがね旦那先生のnoteを読んだことからこのブログを書いています。

 

伝えたいことはよくわかりました。

 

内容にうなずけることも多いです。

(そもそも私と考えが似ている思います。僭越ながら)

 

しかし、私だけではなく多くの方がこの言葉に違和感を感じたのではないでしょうか?

 

 

『自分の教室でいじめを起こさない」という自信はある』

 

『本年度の僕の教室にはいじめはないと自信をもって言えます』

 

 

 

この2つです。

 

上記で述べたように、いじめとは心の感じ方の問題です。

 

 

心の把握がすべてできると思えないのに、

 

 

いじめが絶対にないと言い切るのは、少し傲慢かなとまで思ってしまいます。

(もちろんそうじゃないことは知っています。)

 

 

アンケート、普段の見取り、保護者からの言葉などいじめがないと調査することは可能です。

 

しかしそれは表面的でしかありません。

 

 

 

子供の本当の心、どう思っているかは本人にかしかわかりません。

 

来年度担任が代わり、昨年度のあれはいじめだったと気づくかもしれません。

 

 

クラスでいじめを起こしたくない。起こさない。

 

担任として絶対に忘れてはいけない気持ちもだと思います。

 

そのために沢山の対策、対応をしていると思います。

 

それでもなお、クラスにいじめがないと断言するのではなく、常にいじめが起きるかもしれないと目を光らせておくのが教師なのではないのでしょうか?

 

以上。

私のいじめに対する考えでした。