いじめについて
そもそもいじめとは何かについてまずは確認します。
『「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍してい る等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な 影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該 行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。』
いじめ定義の変遷
ここでのキーワードは、『児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。』ということ。
つまり、その子が「いじめだ。苦しい。」と感じたならばそれはすべていじめということになります。
心身。
身体の異変は見てわかるものが多いのですぐにわかるかもしれません。
しかし、心の変化はわかるものでしょうか?
それは親にさえすべてを把握することな難しいでしょう。
逆に、すべてを把握することができていると思っているのは驕りです。
さて、そもそもこれは
いじめについて。
— めがね旦那@小学校の先生 (@megane654321) 2023年2月10日
「いじめをしない子ども」を育てる自信はない。でも「自分の教室でいじめを起こさない」という自信はある。その自信は「教師である僕が子どもたち全員を大事にしている」という姿勢から来ている。それは「自分を大事にしてくれる人に、自分の嫌な部分を見せたくない」という子ども心
このツイートの流れから、めがね旦那先生のnoteを読んだことからこのブログを書いています。
伝えたいことはよくわかりました。
内容にうなずけることも多いです。
(そもそも私と考えが似ている思います。僭越ながら)
しかし、私だけではなく多くの方がこの言葉に違和感を感じたのではないでしょうか?
『自分の教室でいじめを起こさない」という自信はある』
『本年度の僕の教室にはいじめはないと自信をもって言えます』
この2つです。
上記で述べたように、いじめとは心の感じ方の問題です。
心の把握がすべてできると思えないのに、
いじめが絶対にないと言い切るのは、少し傲慢かなとまで思ってしまいます。
(もちろんそうじゃないことは知っています。)
アンケート、普段の見取り、保護者からの言葉などいじめがないと調査することは可能です。
しかしそれは表面的でしかありません。
子供の本当の心、どう思っているかは本人にかしかわかりません。
来年度担任が代わり、昨年度のあれはいじめだったと気づくかもしれません。
クラスでいじめを起こしたくない。起こさない。
担任として絶対に忘れてはいけない気持ちもだと思います。
そのために沢山の対策、対応をしていると思います。
それでもなお、クラスにいじめがないと断言するのではなく、常にいじめが起きるかもしれないと目を光らせておくのが教師なのではないのでしょうか?
以上。
私のいじめに対する考えでした。